エイ太の雑感

日々のあったりなかったりをそこそこゆるく書いていくブログです。

One

 夜空にひとつ、煌々と輝く星がある。そこから視線を下ろしていくと、何者かわからない、まだ何者でもない影が、夜の静けさの漂う浜辺をひとり歩く。その浜は「終末の原点」と影が勝手に名付けている場所。
 彼か彼女か判別できないが、とにかくそれは、こぼれ落ちそうな満天の星空の下、彷徨うようにして歩く。
 行く先々に見える、浜辺に打ち上げられた何か。汚れた病衣や瓦礫、新聞記事の破片、日誌と書かれた冊子、それからナイフや手提げ袋、テディベア。
 影はそれらに一瞥をくれては力ない足取りでその場所へ向かい、打ち上げられた物を拾い上げ、抱え込む。その繰り返し。気づくと両腕いっぱいに物が溢れていて、弱々しかった足取りはさらに弱くなる。ふらふらと歩みを進めるので、ちょっとしたことで躓きそうに見える。
 疲れ果てた影は歩みを止め、その場に座り込む。海岸線に上体を向けて、膝を抱え込むようにして座ってみせる。どうやら影はここから少し先にある小屋を目指しているようだが、精魂尽きてしまったのだろうか。
 しばらく月や星々を反射する沿岸や波を眺める。すると影は気になるものを見つける。
 我を忘れたかのように焦る影。慌てすぎて、四つん這いになりながらも、なんとか目の前にあった波打ち際にたどり着く。そこには人間の身体を綺麗に形取ったような跡がある。しかしその人間の姿は見えず、空白が象られているだけ。
 誰かの身体があったであろうところ、そこには今は砂しかないのだが、跡の形に沿って撫でてみる。砂の表面にはまだ少し暖かさが残っている。
 影は静かに涙を流す。堪えようと必死になって我慢してみたが、ついに咆哮にも似た喚き声を天空へ突く。
 涙が枯れるまで泣いた後、影は人間のお腹の部分だったであろうところに手を伸ばす。砂を両手一杯掬い上げ、そして何かを囁く。
 掬い上げた砂をそのまま、静かに立ち上がり、後ろにある集めた物の山へゆっくりと運んでいく。たどり着くと途中で拾っていたビニール袋の中に入れ、口をぎゅっと硬く縛る。そのままの流れで荷物をまた抱え込み、本来の目的地である小屋へ向かう。
 無事到着すると、小屋の中へと入りロウソクに火を灯す。明かりが灯ったことで、中の様子がよく見えるようになる。一面を小型ロケットが埋め尽くす。
 影はそれらのロケットの中に、先ほど集めていた物ものを一つひとつ丁寧に入れていく。影は物を入れる前にそれを胸に当て、決意を託すようなしぐさをしてみせる。それが毎回行われる。入れた後、先ほどの砂を入れた袋の口を解き、その砂を丁度良い配分で諸々のロケットに注ぐ。一連の流れを側から見ると儀式のようだ。その工程全てを終えるのにそれほどかからなかったが、しかしこの後はたくさんのロケットを外に運び出さなければならない。これにはかなりの時間がかかる。
 全てを外に運び出し終えた頃には、夜明けまで幾ばくもない状態だ。やっとの思いでここまで作業してきた影は、最後の工程に入る。
 それぞれのロケットエンジンを点火。打ち上がる時の爆風に巻き込まれないため、少し遠くの方へ逃げる。
 また会う日まで。
 影がそうつぶやくとともに、ロケットは一斉に綺麗な弧をそれぞれ描きつつ宇宙に向かって打ち上がる。
 影は最後のロケットが米粒よりも小さくなるまで見守り続け、どれか一つでも無事に辿り着いてくれ、とひとこと。あわよくばあのとロケットが、とも。
 朝日が昇ってくるのと同時に、影はこの世界の空気へとゆっくり姿を溶かしていく。
 その一塊がある空間を漂うとき、その先に待ち受けるのは衝突、結合とも呼びうる一形態か、非生起か。つまり終わることを知らない時間の永続的始点から、どちらに帰結するかはわからないが、その一塊はそんなことに気を留める暇もなく、気に留めるそぶりも見せず、ただただ漂流し、その時かそれでない時を待つばかり。
 人間の認識できない確率、可能性を乗り越えて、偶然と呼ぶのも憚れるような瞬間が訪れた時に、無から呼び起こされるもの。無が有に転じる寸刻。あるいは、有から呼び起こされなければならなかったこと。有が無に転じる刹那。これは万物共通だ。
 人間はその瞬間を認める術を持っていない。それが意味するのは、断裂してしまった点と点の間を補って解釈しているに過ぎないということ。それも人間は繋ぐのに精一杯で、時として裏に潜む何かを図りかねてしまう。
 だとしたら。点のその先が潰えてしまったならば。どうしてそれをそれとして認識できるのか。
 生、または死と呼ばれるものとは、可能性という上位概念が孕む、下位概念だ。
 
 一筋の閃光。
 実に充実した人生を全うしたものだ。自分でも思ってもみなかったくらい長く生きた。八十九歳。立派なものじゃないか。
 幕引きは世間一般で喧伝されるようなものだった。家族の見守る背後から暖かな色の光が近づいてきて彼らを覆い、続いてそれが僕を包むと、根を張っていたように動かなかった身体が軽くなった。至福な感情が喚起された。次に視界が徐々に暗転。最終的には家族が語りかける声も遠くなってゆき、聴覚が閉じた。
 納得のいく人生の終わり方だったのではないか。欲を言えば、孫というものを見てからの方がよかったが、それは我儘というものだろう。
 僕は病室のベットの上でうずくまり、ひとり孤独を噛み締めていた。遡ること約一週間前。部屋には自分を除いて誰もいない。ただベッドの横にある机の上には、家族がくれた花束が花瓶に挿さっている。以前であればこの花々を眺めていると微かな希望を持てた気がしたが、今となってそれは萎れてしまい、見ていると心も萎んでくる。自分の人生とは何だったのか。
 この時までは、全くと言っていいほど人生を肯定していなかった。入院してからどれくらい経つのか既に検討もつかなかったが、入院する前は、働きづくめだった。職務内容を簡単に説明すると、いわゆる国家公務員のようなもの。世は混乱を極めていた。ということは、私たちは死力を尽くして働かざるを得ない。国家として重要な部分に携わっていたのだから、それはもう、火を吹くぐらい忙しかった。月月火水木金金という言葉を、いつだかの時代の人々は口ずさんでいたようだけど、僕はそんなことすら言える状況になかった。
 まさかそれほど苦しい未来が待ち受けているとは、若い僕には知る由がない。選択を誤ったのだろうか。
 いやそんなこともないのかもしれない。結局どんなことをしようが、この世にあって何の代わり映えもしないのだろう。
 ある日突然、僕は職場で倒れた。何の予兆もなかった。手足の筋肉が強張って言うことを聞かない。その次はみるみるうちに力が奪われていくのを感じた。職場の同僚によってそれを発見され、救急搬送された。一命をとりとめたものの、身体がうまく動かせないということと、定年退職間近であったことを踏まえ、退職せざるを得なくなった。
 退職してから初めのうちは自宅で養生していたのだが、刻一刻と老衰していくのを感じとり、日常必要な動きさえ困難になってきてからは、家族の手にも余ってしまい、病院に移った。あれだけ国のために働いたこともあって、そのことが評価されたおかげで、一流の設備や施設が整っている病院を選ぶことができた。
 ベッドの上で過ごす日々。身体へ意識を向けても、自分のものでないような感覚。
 ここで想像する。足裏に感じる、病室のひんやりとした廊下を。そして足を包む優しい水の冷たさを。
 日差しが眩しい。窓に背を向けて、自分にとって抱える価値を感じられない、簡単にまとめられてしまいそうなその過去を、仕方なく背負うかのように背中を丸めた格好でうずくまり、ベッドの上で掛け布団にくるまり無想していた。
 虚を突かれた。遠くから何かが衝突する音が聞こえたかと思うと途端に空から水が降ってきた。正確には天井からだったのだが、随分長いこと病院にしかいない私からしてみれば、空同然だ。
 水を降らせた正体はスプリンクラーだった。どこかの棟で火災でも起こったのだろうか。
 しばらくして館内アナウンスが流れた。どうやらセンサーの誤作動だったらしい。まもなくして、水の噴射も止まった。スタッフが無事か尋ねにくるから、病室のドアを開けられる人は開けたままにしておいて欲しい旨がアナウンスで伝えられた。
 とは言われたものの、僕は身体の自由がうまくきかないから、どうしたものか困った。一人でも歩けなくはないが、一歩を踏み出すのもやっとだ。
 しかし、どうせすることがないのだ、倒れてもいいから運動がてら歩いてみよう、と思い至る。
 ベットから少し身を乗り出し下を覗いてみると、足の甲が浸かりそうなくらい浸水していた。
 まずは身体を起こした。青緑色の病衣が身体より微妙に大きく、余分な生地が動きを邪魔したので起こすのに数分はかかった。次に机にあった老眼鏡を手に取り、遅々とした動作でそれを掛けた。そして順に右足、左足とを水に浸す。
 水の優しい冷たさが、固まって痺れた両足の神経をほんのり刺激し、意識が身体の現在へ向く。気持ちよかった。時間の意のまま翻弄されてきた僕にとって、この時初めて、今をじっくりと堪能することができた。そしてまた同時に、自分の過ぎし時をも享受できたのだ。

 
 平和な日常。何事もなく時間がゆったりと過ぎてゆく。食卓には鮮やかな食事が並び、芳醇な香りが空気を色付ける。卓上では賑やかなそうな言葉が飛び交い、それが互いの心を満たしてゆく。テレビの向こう側にいるアナウンサーが朝から活発に原稿を読み上げる声も相まって、一つの調和が形成される。
 食料を口に運ぶ。口いっぱいに食材の交響曲が奏でられる。その家族は、言葉と食材の協奏曲によって二重に包まれ、守られているような幸せな気持ちになる。
 突如、外から悲鳴が聞こえてくる。それとほぼ同時に父親がドアを思いっきり強く開け、息を切らしつつ部屋に流れ込む。手に何か持っているようだ。
 今朝の朝刊。父の持つ手は小刻みに震えている。ただならぬことが起きたことだけは、父の様子からも、そして外の状況からもわかる。
 新聞の見出しには次のようなことが書かれているのだ。
 宣戦布告、開戦か。
 内容は要約するとこうだ。
 近年、人類の宇宙進出の目処がつき始めてきた。というのも、宇宙開発が各国の協力のもと公的にも民間的にも行われてきたからだ。そして技術発達のおかげで発見されることとなったダークマター中に、現在使用されている電気などのエネルギー源肩代わりとなりそうなミクロ以下の物質が含まれていることを、ある研究機関が発表。そのエネルギー源を圧縮し加工すると固体になり、赤い状態になることから、クロテッドブラッドと呼ばれるようになる。地上では固体化させずにしておいてしまうと、たちまち昇華してしまうので、保存するためにそうしていた。そのエネルギーが昇華するときに得られる加速度がこの物質の場合非常に速く、また熱も放出されるので、それによって生み出されるエネルギーが代替できそうだという。
 それからというものの、各国は領宇宙権を巡って、一触即発の状態だった。これまで国家間で協力して打ち上げていたロケットも、このことがあってからは全く発射されなくなる。そんなことをすればクロテッドブラッドを独り占めにすると見做されてしまうからだ。
 そんなご時世に、誰かが打ち上げた大量の小型ロケットが観測された。これに各国は過剰に反応し、互いを強く非難、牽制し合い、ついには領宇宙権なるものを主張するため、こぞってロケットを発射するようになる。それが昨日までの時点の話。しかし単に飛ばしっぱなしにする訳ではない。他国が先行するのを防ぐため、まだ成層圏にたどり着いていないロケットをミサイルや宇宙空間用無人戦闘機を使って撃ち落としあうにまで発展したのだ。こうなると庶民はどうしようもない。
 空中での戦闘なので、最初は地上への影響は少なかったが、参戦国が増えてくるにつれて、撃ち落とされたロケットや戦闘機が地上に落ちてくるようになる。それは爆弾を落とされるに等しかった。
 周辺がさらに騒がしくなってくる。地響きの音が近づいてくる。大衆が逃げ惑い、狂ったような叫び声が自宅の周辺を取り囲む。
 窓から見える光景。地獄絵図でしかない。家が、車が、ここから見える限りの物が、次々と倒壊、破壊されていく景色。その後に残るは、天に昇り空を汚す黒煙、あるいは空を赤く照らす炎。腕を失くし、血を流しながら歩く者。頭から上がもげて倒れている者。意識がない子供を抱きかかえて周囲に助けを求める者。しかし彼らが心配されることはなく、皆自分のことで精一杯だ。
 一刻も早く逃げ出そうと、その家族は持てるだけの必要なものをかき集め、すぐさま家を後にする。鍵もかけない。
 次に目を瞬かせるときには、空から落ちてくる燃え盛る鉄の大きな塊が、家を、そしてその周辺をぐしゃりと叩き潰し、あたり一面を焦がすのだ。

 一片の追突。
 これで良いのだろうか。あれで良かったのだろうか。テレビの砂嵐のような音が渦を巻き、頭の中をかき乱す。今は脱力しか感じ得ない。覚悟をしていたはずなのに、こんな終わり方をするなんて、信じたくない。
 一瞬、何が起きたのか見当もつかなかった。私の胸のあたりが急激に熱くなるのを感じたのだ。暖かいなんて生易しい表現では表現しきれない。私の身体の中の何かが焼け落ちていくような、激烈の痛み。いや、痛みすらを通り越している。神経の過剰な反応。
 その正体を見極めようと、顔を下に向けようと試みるが、身体が全く言うことを聞かない。そのまま私は地面に倒れこんだ。成す術もなく、自らの力が抜け崩れていく様を観察するしかなかった。
 倒れた後、反動で顔が胸の方に向けられた。大きな穴が貫かれている。血が止めどなく流れていくのをその時になって初めて感じた。穴の向こう側には燃える鉄の塊が見える。
 声も出せなくなっていた。喋ろうとすると、血液が口から溢れ出てくる。ただ、意識ははっきりしていたので、周りがどんな様子であったのかは把握できた。
 空からは幾筋もの燃える鉄片が縦横無尽に飛び交い、煙が空を白く染めていた。地上に視線を移す。動ける人々は、イカルスから逃げるため、私の上を通り越し、被害のなさそうな方向へ向かって走り去ってゆく。担架の上で横になり動けない人々からは、泣く声が聞こえたり、歯ぎしりの音も聞こえた。しかしそれも微かにでしかなく、それにかぶせて悲鳴がテントの中をこだまする。イカルスの一部がテントを突き破って地面を砕く音がそれに混じって聞こえた。
 私は手をあたふたさせてなんとか立ち上がろうとするが、そんな手の動作も、どうやら弱々しく空を切っていただけにすぎなかったらしい。次第に視界が遠のいていった。
 向こう側から小さな人影が迫ってくるのを見た。誰だろうか。焦点が合わず顔が判別できない。
 その人影が私の顔の前まで近づいてきたとき、果たしてそれは息子のニモだった。
 ニモは泣いていた。ママと言っているのだろうが、もうそれを聞き取るだけの力は残っておらず、聞こえてても言葉の様相を呈していなかった。
 ニモが私の手を取りつつ身体を揺らしてきた。痛い。しかし息子に対して何か言わないといけない。このままだと、だめだ。
 私は言った。
 早く、逃げなさい、と。
 伝わったのだろうか。言葉になっていなかったかもしれない。ニモはまだ離れない。頬を伝う涙を、息子は拭ってくれた。
 最後の力を使って、声を絞りだした。
 ママはいいの、早く、行きなさい、逃げなさい。
 そう言うとともに、視界が暗くなった。残ったのは私の手を握る息子の生暖かい感触。
 その暖かさも時間が経つとともに、次第に消えていった。
 ここで想像する。あの時に感じた、私のこの手から奪われていく彼の名残を。
 無事に看護学校を卒業した私は、どこでこの使命を全うしようか、少し考えあぐねていた。歳も歳なので、病院勤務を下っ端からするのはなんとなく嫌だった。四十七歳。六年前の話だ。
 イカルスがそんなに落ちてこない地域で私は生まれたが、周りと助け合いながら生きていきなさいと周りの大人から教わった。彼らは徴兵された者の行く末、被害にあった地域のことを語ってくれたのだ。そしてそのことを思い出し、看護学校に入る直前になって、やっと自分のすべきことを見いだせたのだった。命を守ること。生きるのを手助けすること。
 結局、イカルスの落下集中地点から少し離れた場所にある、怪我人が送られてくる医療センターに勤務することにした。医療センターがあるところには、これまでイカルスが落ちたことはなかった。そこなら安全だろうし、縦の関係なんか気にする暇もなく私の使命に没頭できるはずだと考えた。ただ、イカルスが落ちてきたときのことも覚悟はしておいた。
 しかし、そこでは私の想像を越えた壮絶な状態が巻き起こっていた。絶え間なく送り込まれてくる怪我人。一般市民から、軍の関係者まで、実に様々な人が運ばれてきた。手を休める暇なんてものは存在せず、昼夜通して、働きづくめだった。
 助かるものもいれば、そうでないものもいる。その人を助けることができたときは、使命を全うしているという充実感を得ることもできたが、無慈悲にも消えていく命の方が多かった。
 ある日、一人の男が運び込まれてきた。その男はかなりの重傷を負っていて、両脚を失っていた。医師にはあと数日も持たないであろうことを伝えられた。
 私が点滴を変えようとしたところ、彼に腕を掴まれた。少し驚いたが、彼の口元を見ると何か話しているのが見て取れた。彼は彼の母親が目の前で粉々になってしまったこと、自分にはどうすることもできなかったことを私に告げると、堰を切ったように泣き始めた。私は泣き止むまで彼のそばに居たかったので、そうした。
 それからというもの、点滴を変える時に話すのが恒例となった。最初のうちは自分がどれだけ打ちひしがれたか、またはいかに惨めで貧しい生活送っていたかを語っていたが、徐々に過去の懐かしい思い出話を語ってくれるようになった。特に印象的だったのは、泳ぐのが好きだったという話。泳げば、水と一体になった感覚になり、嫌なことも洗われて消えていくように感じらからだという。
 そんな彼が、私にとって愛おしくなっていく。日誌は彼の語ったことに関する記述が多くなっていた。彼は医師の宣言以上の日数をそこで過ごした。
 だが、それもそう長くは続かなかった。突然、容体が悪化したのだ。異変に気付いた私は、すぐに医師を呼ぼうとした。しかし、それを彼が止めた。彼はこう言ってよこした。
 最後に泳ぎたい。
 私はどうするか迷った。もしここで医師を呼びに行けば助かる可能性だってある。しかし、そうしても手の施しようがなかったら?彼の望みは聞き届けられることなく潰えてしまう。
 私は点滴を引き抜き、誰にもばれないように彼を抱え上げ、医療センターのすぐ近くにあった湖の辺りまで運んだ。両脚が無いぶんだけ軽く感じた。
 私は彼を湖へ浸す。水の浮力によってなのか、よく言われるように魂が抜けたことによってなのかはわからないが、彼の重さがなくなっていくのを感じた。そして彼の顔もだんだんと弛緩していく。最後はほのかな笑みを見せ、私のこの手の中で、生命の炎が消えていった。私はその場で立ち尽くし、自分のお腹に彼を抱き寄せながら泣いた。
 岸辺まで引き上げた後、夜になり多くの人が寝静まったのを見計らって、最後は私の日誌とともに、彼を火葬した。

 暴動や略奪が起きている。無力な者たちが無残に死んでいく。各地で抗議運動の活発化、死傷者数十名。
 あれから次々と紙面を賑わせ、踊っていた見出しの言葉たちは、そのようなものだ。そこに感情など、ない。屍たる言葉が行進する。
 ジャーナリストはこぞって政府を批判する。新聞が瞬く間に大量に刷られる。様々な言説が世を跋扈する。
 しかしその潮流も、次第に自然に収まってくる。ジャーナリストたちも被害に遭い、それどころではなくなる。第一、世がこんなに荒れていては、新聞なんて読む者がいない。人口は減少していくし、情報収集なんてものは二の次となる。なんとか生き残らなければ意味がない。焚き火をするときに火をつけるのには重宝するかもしれないが。
 ジャーナリストは知らない。ましてや各国の政府もここまで長期化するものだとは誰も想像していないだろう。初めの出来事が起きてから既に数年は経つのではないだろうか。資源がなくなりつつある各国は、その資源集めに苦悩する羽目になる。
 それは何も国単位の話だけではない。国が困窮すれば、当然のこと個人も苦しい生活を強いられる。そうして最初に表面化したのが、暴動や略奪だ。食料を確保するため、スーパーマーケットに押し寄せる人の波。我先に食料をと、互いに揉まれに揉まれ、いつしか理性を失い、殴り合う。血飛沫が人の肩につく。銃声。肉片が宙を舞う。そして悲鳴ももれなくついてくる。どさくさに紛れて、女に手を出す男ども。
 次に、他人の食料の奪い合いに発展する。家族が家族を殺し合い、あるグループが他のグループを奇襲する。同盟も意味をなさない、自然状態への哀しき帰還。信じようにも信じるものがない時代。即物的時代が終わり、精神探求を始める者が増えてくる。
 応急措置として食料配給も行われるようになるところもあるが、そんなもので足りるとは思えない。そこら辺に生えている雑草や、昆虫を調理して食べるのも一般的になりつつある。
 無法地帯と既に化している地上の世界は、純粋に倫理観を欠如している人々にとっては楽園に違いない。彼らは欲望をこれまで抑え、息を潜めていたのかもしれないが、たとえ倫理観を備えていたとしてもこんな環境では機能しないし、機能したところで自分の身を滅ぼすだけに違いない。境界線の崩壊だ。
 彼らは女、子供をこれまでのストレスの捌け口とするだろう。何をするのか恐ろしくて言えたものじゃないが、想像はつくはずだ。弱き者は強き者に屈するしかなく、その弱き者を助けるのを試みるヒロイズムに堕落するような愚か者はいないに等しい。
 当然、無秩序状態を糺すための抗議活動は行われた。富める人道主義者が中心となって、貧しき人々がそこへ集まる。そして中央政府ならびに各自治体へのプロテスト。無言の行進や居座り。非暴力的抵抗。
 しかし、活動が上手く機能したのも最初のうちだけで、そのうち富む者たちはどこかへ消えてしまう。貧しさに耐えかねた者たちが、実力行使に出る。警備隊が出動し、その煽動を鎮圧する。当たり前のように暴動に発展。互いに負傷者、死傷者だけが増え続け、亀裂は決定的なものとなっていく。
 ある者たちは、こんな状態であることを辺獄と呼ぶにふさわしいと思うのかもしれない。
 富める者など一部を除いて新聞の読者がいなくなったと言っても言い過ぎではない状況で、ある記事が出る。
 政府、食品関連企業を国営化か。
 この記事が出ることで彼ら読者は、新聞などあてにならないということを信ずるようになるだろう。それは道理というものをわきまえているのであれば、不思議なことは何一つない。

 一線を成す弾丸軌道。
 三十一歳でこの世を去ると聞くと、普通の人であれば「若すぎる死」あるいは「夭逝」と表現するに違いない。少なくとも、自分がそのような類の話を聞いたならば、そう考えるだろう。しかし、考えている当の自分が若さのうちに死ぬとなろうとは、考えるはずもない。その人の死を想い、その人がいなくなったこれからのことを考えることはあっても、自分が死ぬことを想像できる人はそういない。もちろん、全員が全員そうであるとは言わないし、特に若い時に限ってという前提のもとで想定しているに過ぎない。
 年齢を重ねてゆき、死が近づいていると悟ると、自分の死が何を意味するのか考えるようになる。他人の死がきっかけとなってそうせざるを得ない状況に追い込まれることだってあるだろう。しかし、若い時には自分の死をそのものとして捉える努力はなかなかできないし、ましてや自分が死ぬという事実すら認識できないのだ。
 この俺もそうだった。恥ずかしながら、今の今まで考えたことがなかった。
 墜落していく軍用ヘリコプター。吸っていた安物のタバコが、燻る火の赤を光らせて、螺旋状に落ちていく様。自分の内臓が浮いたかと思うと、地面を地面と認識する間も無くそれに急接近し、重力に引っ張られてヘリコプターと自分を含めた搭乗員がぺしゃんこになる。
 自分の目の前に広がってゆく有機物と鮮やかな赤色。そこに俺の過去を見た。
 真っ赤に染まった自分の両手。手の皺には落としても落としきれない血液の色が刻み込まれ、それは自分がこれまで手にかけてきた人々、あるいは自分の腕の中で死んでいった同胞を思い出させた。彼らの絶望の叫び声さえ聞こえてきそうだ。
 アサルトライフルで敵の頭蓋骨を射抜いたとき。鮮血が脳片と共に周囲に散らばり、彼の仲間が雄叫びをあげる。同胞はそれを聞き、俺のそばで笑っていた。そうしているうちにも敵は接近を試みてくる。壕の上から突然現れた敵が狂ったように声をあげながら豪に滑り込んできて、同胞に弾を何弾も打ち込んだ。すかさず俺もアーミーナイフを抜き出し、その勢いのまま敵の胸をひと突きした。ナイフの先から血が伝ってくる。皺から入り込んできて、握っている手のひら全体にねっとりとした感覚を覚え始めた。その不快感も、アドレナリンのせいで気にならない。造作もなくナイフを引き抜き、抜け殻となった身体を向こうへと押しやった。
 同胞はプストタと言った。彼は笑うことしか能のないやつで、どんなことにも笑って対応した。そう、たとえ自分の死に対しても。顔面の筋肉を横に引きつらせ、目の下を痙攣させたまま、動かなくなっていった。声帯を撃ち抜かれたらしく、大した音を発することもできず、自分の存在を感じることのないまま、プストタは自分が単なる物体になっていくのをただただ観察するしかなかっただろう。この俺がそうであるように。
 軍に入るとき、兵士は皆、器官声帯施術の処理が行われることになっている。器官声帯化液を体内に注入され、暫く経つと筋肉や臓器を震わせることによって、声帯の周波数とは別の周波で会話が可能となる。この周波数のおかげでかなりの遠距離での会話も可能となり、これによって無線傍受に類するようなこと、何者かのスパイ行為は不可能となると考えられていた。
 だが、内臓まで深くダメージを負っているらしく、プストタはそれによる会話もできないようだったようだ。
 自分の腕の中でそいつの挙動を、虚無を見るまなざしで俺は見ていた。プストタを抱いている俺の周りだけが静寂に包まれているようだった。それは哀しみの抱擁なんかでは決してなく、純粋ではない動機かもしれないが、心臓の鼓動が聞こえなくなるのを確認してみたかったのだ。鼓動の消えるその瞬間が、人間の唯一観察できる生と死の境目ではないかと思ったから。プストタは長い時間を共にした同胞なのだ。だからこそ、観察すれば死の本当の意味を理解できるのではないか。しかしプストタの喉から出てくる血によって、俺の身体も赤色に染め上げられていくだけだった。
 頭の中をある言葉がかすめていた。
 メメント・モリ。死を想え。
 軍へ入隊することになったとき、父親が俺に贈った言葉だ。死の概念なんて自分の中には存在しなかった頃に贈られた言葉。死というものがあると知っていることと、死ぬことを本当に理解していることは全く違うだろう。この意味で言えば、そのときの俺は死を知ってはいたが、本当の意味で理解していたとは思えない。だから当然、贈られたとはいっても、当時の俺にとってみれば文字の羅列以上のものを見い出すことはできなかった。
 しかしそれも当然だとも考えられる。果たして本当の死の意味を、生きている者が理解できるのだろうか。父親だってこんな言葉を俺に贈っておきながら、死んだことがないのだ。死を理解しているフリをしていただけで、本当の和解者なんてやつじゃない。その知ったかぶりさが俺にとって鼻持ちならなかった。
 死を無と考える者がいる。でも無とは何なのだろうか。真っ暗で何もない空間?音も聞こえてこない、何も存在しないところ?だがそう考えたところで、すでに真っ暗で何もない空間、音も聞こえてこない、何も存在しないことだという事実は存在してしまっている。人間が無以下を知ることができないのと同じで、死も捉えることのできないのではないだろうか。少なくとも、生きているうちは。いや、死んでからだって遅すぎる。
 まあ、俺からしてみれば戦場にいるときの高揚感に勝る事実なんて、存在していようがしていまいがどうでもいいことなんだが。
 
    いつだかのSF小説には、企業が肥大化していき、ついには一国を独裁するまでになるといった内容のものがある。その企業が国の全てを管理する。国民も。その環境も。国民は恐れを知らない、純粋無垢で汚れのない理想にまで昇華した存在になっているか、ただただ頽廃を呈してみせるかのどちらか。企業に服従し、反旗を翻そうものなら企業の管理外、そこでいう世間の外にまで追いやられ、生きていくのが困難になっていく。
 これは想像に終わる。現実はそんなではない。だが全く違ったとも言えない。再興し、国としての地位はかつてとは違った形で存在感を強めていく。
 世界を一つにすることが賞揚され、その実現に向けて動いていた時代もある。そのときは実際に社会の潮流として世界を股にかけた活動が増えていく。国際連盟もそれなりの実権を持つ。
 しかし、理想は理想でしかないのだ。多くの問題が明るみに出てくる。発見したといってもいい。本当は存在していたけれど、うやむやにしていただけなのだから。自称知識人たちは、我こそ第一発見者と胸を張るが、事が大きくなってから声を出し始めたに過ぎず、結局この競争に勝つのは声の大きい者なのだ。
 特に問題となるのは境界線に関することだ。世の中に境界線を越えた活動が増えていくにつれて、それに反発する形で境界線を強化しよう、存在感のあるものにしようとする人々も比例して増えていく。それは大小さまざまな形をとって現前する。例えばアイデンティティの承認の問題。あるいは領宇宙権の問題。そして国境の問題。境界線の崩壊は多くの人にとって、安定の放棄であるとみなされる。不安定でいることなんてできない、もっと平穏が欲しい。そう言って、穏健な人が血相を変えて境界線を守ろうとする。彼らは彼らの平和を欲するのだ。
 そうして衝突が発生する。境界線を超えたものを目指す者たちと、境界線を守りたい者たち。暴動も起きる。一方が他方を消すことで事態の収拾を図ろうとして。境界線を守りたい人たちは、是が非でも境界線を保持しようとした。徒党を組み、建国宣言をするところまで現れた。国の中で国が生まれ、国の外でもその国を併合せんとする国が現れる。
 暴動は次第に資源をめぐる争いへと発展していく。国に資源がないのなら、国としての体をなすことができない。食料を巡り、人材を巡り、境界線を果てなく求める。怒号が飛び交い、血が流される。
 ある国は(と言っても、昔に想像できるような国ではないかもしれないが)、建国宣言をした後、その地域内で活動をしていた食料関係の企業を取り締まるのだった。取り締まるといっても、公営にする訳ではない。企業の自由は補償する。しかし、その企業は国に依存しないと存続できない状況にしておく。一方で、政治的領域は専制下に置かれる。
 食べ物は生命の糧だ。それを牛耳ることで、彼らが国民とみなした者たちを服従させられると考えたのだろう。支配者だと自らをみなす者たちは、服従の気配を見せる者だけを国民とし、それ以外は排除の対象とする。二重国家の誕生である。
 これまでの国と違うのは、匿名性を謳った統治が試みられていることだった。国のトップなるものの実態は存在しないと考えられていた。一方で国民は自分たちが自分たちを統治しているのだと信じて疑わない。彼らにとっては、政府だかなんだかというものは概念でしかない。
 彼らは国境に兵器を配備し、宇宙にロケットや衛星を飛ばす。自らの領域、境界線を主張するために。国同士の交流はほとんど形骸化し、代わりに兵士が乗っている幾機ものヘリコプターや戦闘機が送り込まれる。
 帰ってくる者はほとんどなく、彼らは朽ち果てるべきところで朽ち果てることとなる。

 一台の自動車。
 ドンっという鈍い音に続いて、私の体は地面に叩きつけられた。次に重たい物体が自分の身体を覆い、身動きがとれない状態に一瞬なって身体がふっと軽くなるのを感じた。ぐっしょりと濡れて重くなった髪をなんとか持ち上げて自分の腹部を見てみると、下半身が見えなかった。見当たらなかった。
 何が起こったんだろう。訳がわからなかった。
 一緒に走って逃げていた私の叔母が、大きな口を開けて私のそばで泣いているのが見えた。叔母は私に向かって何かを言っているようなのだけど、何を言っているのかわからない。そういえば、あれだけの轟音も聞こえなくなっている。
 何も聞こえない。
 静寂という言葉でも説明がつきそうにない、不気味な静けさ、無音。
 私は叔母の顔をまじまじと見た。大粒の涙が私の額、頬にぽたぽたと落ちてくる。生ぬるい感触が顔を移動しているのがわかる。私の目にも涙が落ちてきて、世界が二重に見えた。
 叔母さん、何をそんなに泣いているの?悲しいの?
 顔に感じていた生ぬるい感触が次第に身体全体へと広がっていき、さらに全身が熱くなってきた。そして、目の前の二重になった景色も少しずつ明るんできて、ぼやけた輪郭も無くなっていった。
 ほんのちょっと前に、こんなことを考えたことがある。
 静寂。それは何であるのか。
 月明かりに照らされて、きらきらと光を反射している湖畔。その岸辺に建てられたロッジの玄関で、頬を撫でるそよ風と虫が奏でる音色を感じながら、父に尋ねてみた。
 そんなこと「静かな状態」に決まっているじゃないかって、父からは呆れられてしまったのだけど、その答えにはどうしても納得がいかなかった。普通、静かな状態と言われると無音を想像すると思う。事実、静かな状態ってどういうことかを父に再度訊いてみたら、何の音も聞こえないことだって言っていたし。でも、そんな状態に身を置いたことがある人っているのかな。
 あのときのことを思い出してひとりごちた。
 私がもっと幼かった頃、祖母の家の近所にあった、ちいさなちいさな洞窟に一人で入ってみたことがある。そこはよく度胸試しで使われていた。中は狭くて、じめついていて、何の音も聞こえなくて、かなり奥深くまで潜っていけるらしかった。友達の一人が入った経験があるようで、話を聞くと、お母さんのお腹の中にいたときに戻ったみたいだったって。
 怖かったけど、その話を聞いて興味も湧いたから学校の帰り道一人でそこへ寄って、思い切って入ってみることにした。
 中は真っ暗でどうなっているのかよくわからなかった。そして確かにじめついていて、奥に行けば行くほど道幅が狭くなってくる。足場はそこそこの大きさの石がごろついているようで、ふらつきながら歩を進めるしかなかった。
 突然、足を踏み外した。目の前がフラッシュを焚かれたかのようにチカついたかと思うと、次に気付いたときには横たわっていた。どうやら少し広くなった空間にたどり着いたらしかった。彼がお母さんのお腹の中と形容したところはここのことだったのかもしれない。
 起き上がろうと手を動かそうとしたけれど、痺れていてうまく動かない。仕方がないから、痺れがなくなるまで横たわったままでいることにした。
 手も足も動かさず、天井を見つめてじっとしている。音は何も聞こえないはずだった。だって、こんな密閉された空間で音を発するものなんてないだろうと思っていたから。でも、よくよく耳を欹てると、微かにではあるけれど小さい音が聞こえてくる。
 水の音だ。自分が倒れたときに水面を打ったようで、その音が反響して重なり合っていた。一つの音は小さくても、音が重なることで私の耳にまで届くほど大きくなるのだろう。
 まるで波打ち際の海のようだった。目が慣れてきたことで天井も見えてきた。水に反射した光が見えた気がした。
 目を閉じて、力を抜く。深呼吸。足元の水面に、私の教科書が入った手提げが浮いているのを感じ取った。
 音が聞こえない状態なんてそうそうない。だってこんな状況でも音は聞こえるのだから。
 静寂。それは、微かな音が耳に届く状態。そしてそれを許す私の心の余裕、余白。
 静寂に身を包まれた私は、いつの間にか膝を抱えてこのひとときを味わっていた。

 境界線の争いはいつしか、一部の人しか関係なくなっていくだろう。他の人々はそんなこと考える暇がそもそもない。一部の人というのは、資源に余裕があり、自らを守れるだけの設備や装備を持つものたちのことだ。持つ者と持たざる者が明確に分かれる今となっては、支配の形態も明確だ。
 ある哲学者はこれこそが社会というものなのだ、と語る。
 それまでの哲学者も社会や国家の成り立ちを考えてきた。自然状態と呼ばれる状況を仮説的に想像して、どのようにして人々は社会や国家を形成して、自由を実現しようとするのだろうか、と思案してきたのだ。しかし大抵は最初から力や富、能力に格差が想定されたので、それらが衝突する場所に、格差の源となるようなものを一箇所へ委託するという形で自由は実現されると考えられた。
 しかしその哲学者はこれまでとは違う切り口で、常軌を逸する思考を巡らせる。彼は自然状態こそが自由であると宣言する。その状態では誰もが一人であり、一人で生きるだけの知識や力を持っている。社会や国家を持つ人々とは比べ物にならないほど、能力に秀でている。この状態こそが自由なのである、と。誰にも依存しないが故、善や悪の観念もなく、真に幸福な状態なのだ、と。
 一方である段階から家族を形成するに至り、言語も(今考えられるようなものではなく、鳴き声に近いものではあるのだが)獲得していき、人々が集落を成し腰を落ち着けるようになる。そうすると、農業をする必要が出てくる。自分で耕した土地は自分のものになるという土地の所有の概念が生まれる。
 同時にここからだんだんと不平等も生じてくる。ある者は作物に恵まれない。またある者はこの社会に適合した能力や力を持っているため、強い者となったり、作物を多く持つ者となる。そして多くを持つ者、強い者が弱い者を管理する立場、この社会の頂点に立ち、資源を管理する側に立つようになるのだ。弱い者は命令されたように働き、収穫した作物を上に収める。強い者は弱い者に対し、必要なだけの作物を与えてやる。
 こうして、社会が定着していくと、格差、階級も固定化していく。彼は言う。この固定化された状態こそが、社会が最終的に行き着く先なのだ、と。
 持つ者が支配し、持たない者は支配される。
 今までは確かにそうだった。その点は彼が正しかったと言えるかもしれない。しかし、その先のことまでは考えられていない。
 持たざる者は存在しないこととされ、持つ者同士の間での争いだけが存在する。持たざる者はイカルスの襲来を免れることができず、次々と死んでいく。生き残ったとしても、その後生き残っていく術がない。
 持つ者たちはさらに持つこと、そして境界線を追い求めることにだけ執念を燃やして、世界の状態、地球の状態がどうなっているのかを気にかけない。イカルスのせいで持たざる者が死んているのを、世界が徐々に世紀末のような様相を呈していくように朽ちていくのを、彼らは知ろうとしない。
 目的を達成するには、彼らが敵と見做した者全てを排除するか、敵の物を全て奪うかして、争いに勝つしかないと彼らは考える。全てに打ち克ち、安寧を得るために。
 持つ者と持つ者の争い。
 この争いはどこかの勝利によって、あるいは人々の疲弊によって、いつかはおさまるのかもしれない。
 だが、征服の精神を持ち簒奪する者たちにその安寧が訪れることは決してないだろう。なぜならいつ自らの持つ物が奪われるかと、彼らは常に恐れる他ないからだ。
 
 ひとがいっぱい。
 いたい。
 やめて。
 ふまないで。
 いたいよ。
 ママ。
 たすけて。
 ひとがたくさんぼくをふむよ。
 ぽんすけがいない。
 あれ?
 おててはどこ?
 おててがかくれんぼしちゃったよ。
 いたい。
 あつい。
 このひとたちはだあれ?
 しらないひとがいっぱい。
 なんでみんないじわるするの?
 ぼくのことがすきくないの?
 ママはどこ?
 ママ?
 だっこしてほしいよ。
 ぎゅっとしてほしいよ。
 どうしていないの?
 ママのあったかいおなか。
 ちゃぷちゃぷしてるおなか。
 おなかってふしぎだな。
 ぼくがいたおなか。
 もどれないおなか。
 ごはんはおなかのなかにいくのに。
 ぼくはもうおなかのなかにはいけないの。
 なんでだろうな?
 おなか。
 おなかのなかにいるのはだあれ?

 その大陸では、度重なるイカルスによって受けたダメージが極端な形をとって現れている。一方はこれまで通り平穏に過ごせるような環境が整ったままの場所が存在し、しかしその一方では跡形もなく、建物人影全てが見当たらない場所もある。建物だったであろう瓦礫の上には深緑が生い茂っている。そこは後の向こうの向こうまで平地が続く、瞻望なる地平線。
 陸地に死体が見当たらないのは、海に捨てられているからだ。今では火気類は避けられることが多くなっている。火から連想されるものも、忌避される傾向にある。
 静寂に包まれた土地にもおそらく人が住んでいるのだろう。それは時々見せる土を火で焦がした後を見ればわかる。そうすることで食材の調理をしていると推測できるが、大地を燃やしたり、石が並べられて形を成す、意味深な記号のようなものが現れることもしばしばある。だが、何を思ってか姿を現す気配はない。以前であればこんな状態にもなっておらず、どの土地も概してその土地なりの賑やかさがあったものだが、変わり果てたこの状況を見て、ここにいた人々は絶望してしまったのだろうか。
 普通に考えるのなら、イカルスから逃げきれずに多くの命が散っていったとするのが自然だ。ただ、だからと言って全滅したと断言はできない。過去の事例から考えても、たとえ多大なる被害を被る場所があったとしても、助かった者もあるのだ。幾つもいかない男の子が一人であるコロニーにたどり着いた例も過去にはある。彼は今一人前の兵士として立派にやっている。
 イカルスは形を変えて存在してきた。かつては鉄の塊のことを指していた。それに加え、今では宇宙の覇権を握った国が兵器を実装して、空からの攻撃を図る、そのことをもイカルスと呼ぶようになっていた。
 そんな所と打って変わって、現在も普通に生活が営まれている箇所。その大方は以前と全く変化していないどころか、むしろ発展している。規模的にはそんなに大きくはなく、約五千ヘクタールほど。それが点在している。
 場所によってそこでコロニーを形成している人々の志向は少し異なっていたが、相互間の交流は維持されていたので国家の機能はなんとか保たれている。でなければこんなことにはならないはずだ、と考えるのは皮肉でしかない。
 どこのコロニーも共通していることは、低い建物しか経っていないこと、権力者や富裕層であること、そして何より軍の基地が存在していることだ。実権は軍が握っているも同然なので、軍関係者もコロニーに所属している。
 軍の兵器開発などを請け負っていたコロニーはイカルスから自身たちを守るための技術を開発、実験を繰り返して、磁力シールドが実用段階に迫っているようだ。
 磁力シールドをコロニーの中心に据えることで、周辺に莫大な磁力を発生させ、イカルスをあさっての方向へ逸らすことができる。ただまだまだ不具合があるようで、起動してすぐの段階ではイカルスを全て吹き飛ばすことができず、一部分がある病院のそばをかすめて落ちたこともある。
 普通のコロニーにはまだ実地配備できないので、一般的にはイカルス対策として迎撃ミサイルを配備している。
 食料についてはこうなる以前に食料関係の企業を国が運営し、そこに勤めていた職員に、室内で野菜を大量生産できる技術あるいは食用家畜のクローンを安全に生み出す技術を開発させ、事なきを得ている。
 人々はそうして日々の暮らしを守っていた。
 しかし、それも今日までの話。彼らにとっての日常は、突然にして急激に非日常へと瓦解していく。
 午後、陽が西へ傾きかけた頃にそれは起こる。
 各コロニー内を唐突な閃光が走り、あらゆるものの輪郭を暈す。一通り光ったと思った瞬間には、半分くらいの人々の姿が見えない。それも跡形もなく。不思議なのは、消えなかった者はこれといって被害を被っていないことだ。それは建物も同じく。
 大方の人々が証言するには、高熱にさらされた水のように蒸発したのだという。しかし、あんな眩しさにあって、直視できたのかには疑問の余地がある。
 あるコロニーでは、宗教を信仰している大部分の人々が集まっている。彼らは神を信じていた者たちが救われたのだと他のコロニーに苦悶の表情を浮かべながら、だが熱心に語って聞かせる。逆に消失した人々は信心深くなかったから神によって消されたのだと語るものもいたが、ほとんどの人は取り合わず、無視を決め込む。なぜなら語る彼らも信仰者なのであり、語る彼らと消えた彼らの違いがわからないからだ。語る彼らも神に救われない限り道理に合わない。反対に信心深くない人々が消されたという言説も、信心深い人とのくっきりとした違いを人々は見いだせない。
 この話は挙げ句の果てに、消えた者たちが表面上信仰心を表していたかに関係なく、真の信仰というものをを通して昇華したのだとぞんざいに語る者が出てくるところまで続くからきりがない。
 結局、コロニーに所属している人以外にも信仰者はいるのであって、そんな彼らも消えたり消えなかったりしているのだからやはりそんな考えはおかしい、と人々は思う。
 各々のコロニーは保安隊を必ず構えていたので、親しき者を無くした者たちは、彼らに調査を依頼する。そうしてわかったことがある。
 消失者は皆、おそらく軍事に関することをしていたということ。
 どうやって蒸発したのかはわからない。もしかしたら、敵国のスパイが人影に紛れ込んで爆弾に似た何かを仕掛けたのかもしれない。しかし軍事関係者だけを消すやり方などあるのだろうか。
 それからというもの、イカルスは降ってこなくなる。
 他国でも同様の出来事が起きたのではないか、そしてそれを引き起こしたのが各国各コロニーに跨がって存在していた反戦を宿命としている秘密結社によるものではないかと一説では伝えられる。
 ここから先の記録は途切れている。世界が辿った運命を知る人はそういない。
 
 暗闇。
 水。
 管。
 膜。
 赤色。
 輪。
 分裂。
 連鎖。
 螺旋。
 物質。
 鼓動。
 リズム
 規律。
 パターン。
 静寂。
 揺らぎ。
 運動。
 生命。
 雲の隙間から差し込む夕日が大海を繊細に照らす。波に揺られて運ばれるその人は、浮きつ沈みつを繰り返して、艶やかな肉体をチラチラと見せ、陽を反射してみせる。その肌はしかし、陽の暖かい色に反して雪のように冷たい色をしている。
 波に身を任せるままに進んでいく。そしていつしか砂浜に辿り着く。
 打ち上げられたはずの浜辺には、その人の姿はない。その代わり、へその緒がついたままのちっちゃな赤ちゃんがそこには横たわる。まるで誰かを待ち受けるかのように、静かに。
 徐々に夜が更けてくる。それにつれて赤ちゃんの姿が暗闇に溶けていく。残ったのは赤ちゃんの跡。それを囲うように人の跡。
 何者かが近づいてくる。真っ黒に染め上げられた人型の何かとしか形容のできないもの。
 浜辺には多くの物が打ち上げられている。
 パソコン、看板、帽子、動物の骨、ソファ、ブレスレット、サッカーボールなど。
 しかしそれは、何か決まりがあるかのように、あるいは適当なのかもしれないが、手につける物と、手につけない物がある。気づくと両手に抱えるほどの物が集まっている。
 それは疲れた様子で人の跡の近い場所に座り込み、しばらくじっと海を眺める。
 突然、それは慌て出す。かと思うと、人の跡のところまでやってくる。
 人の跡をなぞるように撫で始める。涙が一筋。咆哮。
 泣き終わると、それは人の跡を両手で掬い上げる。そして囁く。
 「私は君なのだね」
 掬い上げた砂を、ゆっくりと集めたもののある方へと持っていく。途中で拾っていた袋の中に入れると、口を固く結んだ。そして、他の物も拾い上げると、少し離れたところにある小屋へとそれは足取りを速める。
 小屋に到着すると、それは小屋にあったロウソクに火を灯す。たくさんのロケットが暗闇から現れる。
 それはロケットに集めたものを入れていく。そして全ての物を入れ終わると、先ほどの砂を満遍なくそれぞれのロケットの中に注ぐ。残った砂は最後に残してあったロケットに入れる。全行程を終えたそれは最終作業に入る。
 ロケットを全て外へ運び出す。運び終えて一息つくと、全ロケットのエンジンを点火。それはロケットの一群から遠ざかっていく。
 機体に設けられた窓からそれの姿が見える。それの口がぱくついている。何か言っているようだ。
 ロケットは打ち上げられた。
 だんだんと地上にあるものが小さくなっていった。もちろん、それも。
 しかしかろうじてまだそれが見える段階で、それは姿をぼかし始め、ついには消えてしまった。
 ロケットの先端は、北極星を指している。


 平穏が時間に漂い夜明けが近づく。黒煙とちらちら明滅する光が混じり合って、明けかけた遠くの空をほんのり照らす。宇宙から一塊が大気圏に突入してきて、火花と煙が放物線を描きつつ落ちてくる様が、母なる地球から見えてきた。
 どこかに落ちるに違いない。
 しかしその先がどうなるのか知ることになる者は、一人しかいない。